世界遺産105位「アイト・ベン・ハドゥの集落」




アイト・ベン・ハドゥの集落

モロッコの世界遺産都市マラケシュからアトラス山脈を越え、やがてサハラ砂漠に至ろうかという小川のほとり、その丘の斜面に侵入者を拒むかのように佇む日干しレンガの要塞村が現れます。ここが数多くの映画のロケ地になった世界遺産の集落、アイット・ベン・ハドゥです。

この地はマラケシュとサハラ砂漠入口の町ワルザザートを結ぶ交通の要衝にあり、隊商都市として栄えたオアシス。アイット・ベン・ハドゥの集落は、17世紀に先住民のベルベル人によって築かれました。部族間の争いや盗賊の略奪などから守るため、四方に銃眼のある塔を備えた、カスバと呼ばれる堅固な建物を密集させて城壁とし、村全体が要塞になっています。しかも城門は1か所しかなく、たとえ敵が侵入したとしても、通路は狭く複雑に入り組んでいて、容易に攻略されることはありません。さらに丘の頂には食糧貯蔵庫が建てられ、籠城戦への備えも考えられています。この要塞村では今も、砂漠地帯の過酷な自然と敵襲に耐え生き抜いてきた人々の末裔が数家族、電気や水道のない昔ながらの生活を続けています。

古代の建築技法を伝える貴重な文化遺産であるとして1987年、世界遺産に登録されたアイット・ベン・ハドゥ。その迷路のような集落の中をさまよい歩き、眼下に360度の雄大な景観が広がる丘の頂に立てば、まるで映画のワンシーンに迷い込んだ心地がします。

故事名言=一日暖めて十日寒(ひや)す

一日勉強して十日怠けることのたとえ。孟子に「どのよ

うに成長しやすい植物でもこれを育てるのに一日暴(さ

ら)し十日暗い所に置くようなことをしたのでは、うま

く成長するものではない」と教えている。

世界遺産104位「峨眉山と楽山大仏」




峨眉山と楽山大仏

四川省成都の西南に聳える峨眉山は古来、道教や仏教の聖地とされ、中国三大霊山や中国四大仏教名山に数えられてきました。その峨眉山から数十km離れた山紫水明の地、楽山の河岸には世界最大の磨崖仏である楽山大仏が鎮座し、ともに世界遺産の複合遺産に登録されています。

標高3099mの万仏頂を最高峰とする峨眉山は、「峨眉天下秀」と称えられてきた名山。後漢時代から寺院が建立され、南宋時代に最盛期を迎えました。今も山中には報国寺、万年寺など26の古刹が点在しています。古くから聖地であったため豊かな自然が手つかずのままに残され、3000余種の植物や絶滅危惧種を含む動物が数多く生息する自然の宝庫となっています。楽山大仏は長江の支流の岷江と青衣江、大渡河の合流地点の断崖に刻まれています。かつて楽山は大量に採れる塩で潤っていました。その恩恵を仏に感謝し、また塩を運ぶ大動脈であった川の氾濫や水難事故を防ぐために、民衆の浄財によって着工されました。713年に彫り始め、90年後の803年にようやく完成を見た楽山大仏は高さ71m。青々と茂る凌雲山を背に座し、その眼下には遥かな時の流れを思わせる岷江が広がります。

文化と自然の両面で価値が認められ、複合遺産として登録された峨眉山と楽山大仏。古くは仙人が住むともいわれた天下の秀峰の風光に心洗われ、千年以上の長きにわたり水運の安全と民衆の営みを見守り続ける巨大な石仏の懐に抱かれてみてはいかがでしょう。

故事名言=市に帰するが如し

孟子にある言葉。市場に人が集まるようだということで

、徳の高い人のもとに人が慕い集まるさまをいう。

世界遺産103位「ハンピの建造物群」



ハンピの建造物群

「ハンピの建造物群」は、インド・ムンバイの南東にあります。かつてはヒンドゥー教のヴィジャヤナガル王国が築いた王都でした。19986年、世界遺産に登録されました。

1999年、危機遺産リストに登録されましたが、2006年にリストから外れました。遺跡の広大さゆえに、鉄橋を建設してそこから見学しようという計画が成されたのですが、それが開発破壊に当たるとみなされてしまったためです。


故事名言=一樹の陰一河の流れも他生の縁

説法明眼論(せっぽうみょうげんろん)にある言葉で、

同じ木の陰に宿り、同じ川の水を飲むのも前世からの

浅からぬ因縁によるものだということ。

世界遺産102位「バンコク」




バンコク

タイには現在5つの文化遺産、自然遺産が登録されています。文化遺産が、「スコータイとその周辺の歴史的都市群」「アユタヤ」そして「バンチェン遺跡」、自然遺産が「トゥンヤイ-ファイ・カ・ケン野生生物保護区」と「ドンパヤーイェン-カオヤイ森林地帯」です。名前を聞いてもピンとこないかもしれませんが、それぞれ素晴らしく、ぜひ一度は訪れていただきたい場所ばかり。現地スタッフがその魅力をご紹介しましょう。
バンコクは微笑みの国タイの首都。カオサン通りはバックパッカーの聖地としても知られ人気がある。
ワット・ポーでは、仏陀が横になっている状態の仏像を見ることができる。横になっているのは寝ているわけではなく、亡くなる直前の仏陀の姿を表しており、悟った者は死ぬ時も安らかであり、死も恐れるものでないという、仏陀の超越した姿を再現している。この像は巨大で黄金なので必見!
・ワットアルン 暁の意味 表すなり 10バーツ硬貨に 描かれている

故事名言=一字(いちじ)の師

詩や文章の文字について、悪い所を指摘して直してくれ

た人を尊敬していう言葉。五代史補(ごだいしほ)によ

ると、斉己(せいい)が詩を作り、それをもっ袁州(え

んしゅう)に住んでいる鄭谷(ていこく)を訪ねた。そ

の詩は早梅をうたったもので「前村深雪裏、昨夜数枝開

」とうたっていた。鄭谷はこれを見て、「数枝というの

は早すぎはしないか、一枝にしたらどうか」と言った。

斉己はなるほどと感じいって思わず鄭谷を拝し、これか

らは鄭谷を「一字の師」として仰いだ。

世界遺産101位「アテネのアクロポリス」




アテネのアクロポリス

文学・演劇・彫刻・言語・哲学・政治…あらゆる西欧文明の発祥の地、ギリシャ。クレタ・ミケーネの青銅器文明を経て、紀元前8世紀に誕生した都市国家(ポリス)アテナイで古代ギリシア文明は最盛期を迎えます。その象徴ともいえるのが、海抜約156mの石灰台地に築かれたアクロポリス。アクロポリスとは「高い丘の上の都市」という意味。オリンポスの神々を祀った神域であり、同時に敵の侵入を防ぐ要塞としての役割を果たしていました。

そのアクロポリスを象徴するように建つのが、ドリス式建築の傑作と謳われるパルテノン神殿。守護女神アテナ像に捧げた戦勝記念堂で、紀元前432年に完成しました。白大理石の円柱は、中央部に膨らみのあるエンタシス技法で仕上げられ、四隅の柱はやや太く、わずかに内側に傾けられています。床面も中央を隆起させ、曲線を多用することによって究極の美を表現。かつては色鮮やかな彫刻で装飾されていましたが、その多くは持ち去られ、現在は大英博物館で見ることができます。ちなみにユネスコのシンボルマークは、パルテノン神殿を図案化したものです。

重厚なパルテノン神殿と好対照をなすのが、その北側にあるエレクティオン神殿。6体の女神像が屋根を支えるカリアティディス柱廊が、イオニア様式の気品と優雅さを感じさせます。これらはレプリカで、実物のうち4体は仔牛を担ぐ男像などとともに、アクロポリス博物館に収蔵されています。ほかにも、神域の入り口にあるプロピュライア(前門)、“翼なき勝利の女神の神殿”の異名をとるアテナ・ニケ神殿、ギリシア最古の劇場・ディオニソス劇場など見どころは尽きません。

故事名言=一日再び晨(あした)なり難し

一日に二度と朝は来ないということで、今日の日は再び

巡ってくることはないから、時間を惜しんで勉強せよと

いう戒め。陶淵明の詩に「幾年重ねて来たらず、一日再

び、晨なり難し、時に及んでまさに勉励すべし、幾年人

を待たず」とある。

世界遺産100位「キナバル自然公園」




キナバル自然公園

ボルネオ島北部、ビーチリゾートとして人気の高いコタキナバルから車で約2時間。東南アジア最高峰として君臨するキナバル山を中心にした一帯は、世界でも有数の多彩な動植物の宝庫。花崗岩の岩肌がむき出しになった頂上と、熱帯雨林が生い茂る山麓では、20℃以上も気温に差があり、また地質学的にも非常に多様性に富んでいることがその理由。植物はラン1,200種を含む4,500種、蝶290種、鳥326種、哺乳動物123種が確認されており、希少種や固有種も少なくありません。

公園のシンボル・キナバル山は、地元ドゥスン族の間で祖先の魂が眠る地として崇められてきた聖なる山。富士山より高い標高4,095mですが、登山道が整備され、ガイド同行も義務づけられているため、人並みの体力さえあれば初心者でも登頂は可能。標高3,200m付近の山小屋に宿泊して、高度に体を慣らしながら頂上のローズピークを目指します。眼下に横たわる雲海が朝日に照らされ赤く染まっていくさまは、神々しいまでの美しさ。

頂上まで行かずとも、公園本部周辺に設けられた自然散策路や山岳植物園で、食虫植物ウツボカズラや寄生植物ラフレシアなど、珍しい植物を観察することができます。車で約30分の距離には、登山やハイキングの疲れを癒すのに最適な露天のポーリン温泉も。さらにジャングルを分け入ると、地上約41m・長さ約157mの吊り橋があり、スリル満点のキャノピーウォークとともに、バードウォッチングも楽しめます。

故事名言=一日の長

唐書にある言葉で、少し年上であるということ。知恵や

経験などについて一段優れていることをいうときに「彼

は私に比べて一日の長がある」などという。

世界遺産99位「レーティシュ鉄道アルブラ線・ベルニナ線と周辺の景観(スイス側)」




レーティシュ鉄道アルブラ線・ベルニナ線と周辺の景観(スイス側)

アルプスの真っただなかに路線網を敷き、100年を越える歴史を持つレーティッシュ鉄道はスイス最大の私鉄。アルプスの大自然を損なうことなく建設された高度な鉄道技術と、その鉄道と共存する美しい沿線風景が評価され、アルブラ線とベルニナ線が周辺の景観とともに2008年、世界遺産に登録されました。アルブラ線はトゥージスから高さ約65mのランドヴァッサー橋など144の石橋を渡り、アルブラ峠をはじめ数々の難所を越えてサンモリッツへとひた走ります。

サンモリッツからベルニナアルプスを貫きイタリアへと抜けるベルニナ線は、鮮やかな赤い車体が印象的。万年雪を戴くベルニナアルプス最高峰のピッツ・ベルリナ(標高約4,049m)、白く輝く氷河、静寂をたたえる氷河湖のビアンコ湖を間近に眺め、高度を上げ、ヨーロッパ最高所の鉄道駅オスピツィオ・ベルニナ駅(標高約2,253m)から下りにかかり、360度の弧を描くブルージオのループ橋で急峻な谷を下り、イタリアのティラーノへ。その鉄道技術はその後のスイスの鉄道のみならず、日本の箱根登山鉄道のモデルにもなりました。

鉄道の発達により山岳国の障害が克服され、酪農などの産業が発展。それにより形成されたアルプスと山里の美しい風景が、歴史と伝統ある鉄道とともに残され、多くの観光客を惹きつけています。観光立国スイスは「鉄道」によって文化・経済が発展し、現在の景観をつくってきたのかもしれません。

故事名言=一日作(な)さざれば百日食わず

農夫は一日仕事を休めば百日分の食糧がなくなるという

こと。毎日うまずたゆまず働かねばならないことを言う

ときにいう言葉。史記によると、趙の粛候が国内をあち

こち巡游しようとして出かけた時、宰相の大戊午が「今

は農繁期であるからやめるべきだ、農夫は今、一日作さ

ざれば百日食わずの状態になってしまうのだ」と言って

巡遊をとどめた。どこの国にしても物見遊山の巡視は

迷惑至極のものだ。

世界遺産98オ「北京と瀋陽の明・清朝の皇宮群」



北京と瀋陽の明・清朝の皇宮群

北京の故宮は明の永楽帝(エイラクテイ)が1406年から14年の歳月をかけて築き上げ、以降、1912年の清朝滅亡まで500年近くにわたり、明と清両王朝24人の皇帝が君臨した紫禁城。現在は博物館(故宮博物院)となり、1987年には世界遺産に登録。2004年には、清朝初代皇帝・太祖ヌルハチと2代皇帝・太宗ホンタイジが1625~36年に造営した瀋陽の故宮が「明、清朝の皇宮群」として追加登録されました。

北京の故宮は総面積72万m²におよび、南北一直線上に主要な宮殿が左右対称に配された、皇帝が公務を執り行った外朝と、皇帝が生活を営んだ内廷に分かれています。外朝の中核となる太和殿は、国家の重要な式典や行事が行われた場所。映画『ラストエンペラー』では、清朝最後の皇帝・溥儀(フギ)の即位式で、官吏たちが居並ぶ太和殿の前庭が登場しますが、それは故宮のごく一郭に過ぎません。殿内には皇帝が座る玉座があり、龍の彫刻が侵しがたい権威を象徴しています。

太和殿の後ろには皇帝の控室の中和殿、皇帝が宴を催したり官僚になるための最終試験が行われた保和殿が、その先の内廷には、皇帝の寝所や執務所となった乾清宮、玉璽(皇帝の印)を保管した交泰殿、清代に皇帝の婚儀の場となった坤寧宮が並び、東西に甍を連ねる付属の殿閣を合わせると、半部屋を含めて9999.5部屋にもなります。裏山の影山公園・万春亭に立つと、全貌を現わす世界最大規模といわれる皇宮。その壮観には時を忘れて見入ってしまいます。

故事名言=一日敵をゆるせば數世(すうせい)の患(うれい)

敵を伐(うつ)手を一日ゆるめれば、そのために後々ま

でも災いの種を残すということ。左伝に「敵は縦すべか

ら、適を縦せば患生ず」といい、「一日敵を縦せば數世

の患」とある。敗戦後の日本に軍の敵はなくなったが、

日本人は敵の字が好きで、スポーツ新聞などには目に余

るほどならべられている。なんでも相手に敵の字を当て

たがるが、あまり敵愾心の強いのは困る、

世界遺産97い「アウシュヴィッツ-ビルケナウ ナチスドイツ強制絶滅収容所」




アウシュヴィッツ-ビルケナウ ナチスドイツ強制絶滅収容所

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(アウシュヴィッツ ビルケナウ きょうせいしゅうようじょ、ドイツ語: Das Konzentrationslager Auschwitz-Birkenau、ポーランド語: Obóz Koncentracyjny Auschwitz-Birkenau)は、ナチス・ドイツが第二次世界大戦中に国家を挙げて推進した人種差別による絶滅政策(ホロコースト)および強制労働により、最大級の犠牲者を出した強制収容所である。収容者の90%がユダヤ人(アシュケナジム)であった。

アウシュヴィッツ第一強制収容所は、ドイツ占領地のポーランド南部オシフィエンチム市(ドイツ語名アウシュヴィッツ[注 1])に、アウシュヴィッツ第二強制収容所は隣接するブジェジンカ村(ドイツ語名ビルケナウ)に作られた。周辺には同様の施設が多数建設されている。ユネスコの世界遺産委員会は、二度と同じような過ちが起こらないようにとの願いを込めて、1979年に世界遺産リストに登録した。公式な分類ではないが、日本ではいわゆる「負の世界遺産」に分類されることがしばしばである[1]。一部現存する施設は「ポーランド国立オシフィエンチム博物館」が管理・公開している。

故事名言=一日三秋(いちじつさんしゅう)


一日会わなければ三秋(秋三ケ月、なたサンケ年のこと

にもいう)も会わないように思うということで、思慕の

情の強いことのたとえ。詩経に「一日見ざれば三秋の如

し」とある。

世界遺産96位「マデイラ諸島のラウリシルヴァ」




マデイラ諸島のラウリシルヴァ

マデイラ諸島のラウリシルヴァはポルトガルの世界遺産。ポルトガルの首都リスボンの南西約1000kmの大西洋上にある火山列島です。主島であるマデイラ島は温暖な気候で、世界最大のラウリシルヴァ(照葉樹林)などに花が1年中咲いています。

また、ここは氷河の影響をまぬがれた照葉樹林原生林ということで有名です。ちなみに、照葉樹とは、常緑で大きな葉を持つ木のこと。葉が厚く光沢があるので、その名がついています。

マデイラ島は『大西洋の真珠』と呼ばれる高級リゾート地としても有名です。

故事名言=一言を以て之を蔽(さだ)む

一言で結論を下すということ。ふつう「一言を以て之を

蔽(おお)う」と言っている。孔子は「詩三百、一言を

以てこれを蔽むれば、思い邪(よこしま)なし」と言っ

ている。

世界遺産95位「カカドゥ国立公」




カカドゥ国立公園

オーストラリアの北部、ノーザンテリトリーの州都ダーウィンから東へ約250km、カカドゥ国立公園は四国4県を合わせたよりも広い約2万㎢の広大な公園。無垢の大自然に1600種類の植物、200種類以上の鳥類など数多くの動植物が生息。先住民アボリジニの文化遺産も随所に見られる、オーストラリアの原点ともいえる貴重な複合遺産です。

カカドゥ国立公園の北部を流れる大河の1つ、サウスアリゲーター川の支流イエローウォーターをボートで巡れば、繁茂するスイレンが花開き、水鳥やイリエワニの群れを目にすることも。南部の深い渓谷では岩壁を一直線に流れ落ちるジムジム・フォールズ、二筋の滝がしぶきを上げるツイン・フォールズなど、ダイナミックな景観が展開。乾季には滝壺での水遊びも可能です。カカドゥはまた先住民アボリジニの聖地。数万年以上も前からこの地に住んでいたアボリジニは、ノーランジーロックやウビルロックなど、約3000か所にユニークな壁画を残しています。岩壁に神話や当時の生活が描かれ、動物の内臓や骨格を描くX線画法と呼ばれる線画は必見。ウビルの丘に登れば、彼らも見たであろう360度の大自然が広がります。

その雄大な風景も10月の雨季になると表情が一変します。3~4月には川が氾濫し、一面が湖のようになり、やがて無数の水鳥が飛び交う季節に。季節を6つに分けていたという先住民にはとても及びませんが、幾度か訪れ千変万化の表情を楽しみたい世界遺産です。

故事名言=一淵(いちえん)に両蛟(りょうこう)ならず

淮南子にある言葉で、一つの淵には二つの竜は住んでい

られないということ。同じところに強い者が二人おれば、

互いに戦ってどちらかは倒されるものだということのた

とえ。

世界遺産94位「カイロ歴史地区」




カイロ歴史地区

ナイル川東岸にイスラム文化を伝えるカイロ旧市街。シタデルや死者の町が広がるイスラム地区(旧市街)、カイロ発祥の地オールドカイロなど約8km×4kmが歴史地区として世界遺産に登録。600以上のモスクと1,000ものミナレットが聳え立ち、「千の塔の都」と称えられます。

カイロの興りは7世紀、イスラム勢力によるバビロン城の陥落に始まり、10世紀にはオールドカイロが形成され、イスラムの軍事都市として隆盛。当時完成した「アズハル・モスク」は林立する列柱が美しく、イスラム最古の高等教育施設であるマドラサが併設されました。12世紀には十字軍の侵攻に備え堅固なシタデルが建設され、13世紀に興ったマムルーク朝時代には、インド洋と地中海を結ぶ交易で巨万の富を得、モスクや教育施設などが次々に建てられイスラム文化が開花。カイロは世界最大規模のイスラム都市となりました。黄金期の14世紀に建てられた「スルタン・ハサン・モスク」にはカイロ一高い約80mのミナレットが聳え、シタデルではエジプト最後の王朝を興したムハンマド・アリがイスタンブールから技術者を呼び寄せ建てた、壮大な「ムハンマド・アリ・モスク」が異彩を放っています。

古代エジプト王朝の誕生からピラミッド信仰も薄れた約4,000年後、唯一神アッラーを信奉する敬虔なイスラム教徒たちが築いた新たな都は、学術、文化、経済を発展させ、アフリカ最大の都市へと成長。カイロ歴史地区はエジプト文明の薫りを感じさせない不思議空間です。

故事名言=一衣帯水

陳書にある言葉で、帯のように細い流れのこと。狭い海

峡などをいい「日本と中国とは一衣帯水の隣国である」

などと使う。

世界遺産93い「アマルフィ海岸」




アマルフィ海岸

アマルフィ海岸はソレントからサレルノに至るイタリア南部の海岸線。その昔、絶壁の入江に漂着した人々は狭い土地で潮風に強いレモンやオリーブを育て、イスラムの羅針盤をヨーロッパで初めて使い大海原へと雄飛。10〜11世紀にはベネチア、ジェノヴァと並ぶ海運共和国として繁栄を極め、中国の製紙技術もイタリアで最も早く伝わるなど、その栄光の歴史は、イスラム風のドゥオモなど古都アマルフィの随所に見られます。

歴史の隆盛とは対照的に、紺碧の海がきらめく海岸には、その美しさを象徴するような、いくつもの神話や伝説が残っていることでも知られます。アマルフィの街は、ギリシア神話の英雄ヘラクレスが、愛する妖精の亡骸を埋めた世界一美しいところと語り継がれています。また、ポジターノの名は、海の神ポセイドンがこの地を贈った愛する妖精、パジテアの名に由来するとも…。

世界遺産に登録されたポジターノからヴィエートリ・スル・マーレ間は、断崖絶壁の急斜面から眼下に紺碧の海がきらめく「世界で最も美しい海岸線のひとつ」といわれる高級リゾート。一方で、険しい山上の空と海の間を歩くポジターノの「神々の道」、断崖の上に築かれ「海より空が近い街」といわれるラヴェッロなど、奇観ともいえる絶景が展開します。伝説が息づく蒼く澄んだ海は、今にも妖精が現れそうな、妖しい美しさを秘めています。

故事名言=痛くも痒くもない

晋書にある言葉で、全く苦痛を感じないこと。利害関係

が全く無いということ。人が懲らしめようとして何かの

手段に訴えたときなどに「どうぞご自由に、痛くも痒く

もありませんから」などと使う。

世界遺産92い「サントリーニ島」



サントリーニ島

サントリーニ島(Σαντορίνη / Santorini) もしくは ティーラ島(Θήρα / Thira)は、エーゲ海のキクラデス諸島南部に位置するギリシャ領の島。かつて大爆発を起こした火山が形成したカルデラ地形(サントリーニ・カルデラ)の一部で、その外輪山にあたる。「サントリーニ島」の名はカルデラ全体、すなわち本島を含めた5つの島々(サントリーニ諸島)の総称としても用いられる。

カルデラ湾を望む断崖の上に白壁の家々が密集する景観でも知られており、エーゲ海の著名な観光地の1つである。一方で、サントリーニ・カルデラ内では現在も活発な火山活動がある。

故事名言=衣帯(いたい)を解かず

漢書にある言葉。着物や帯を解かないことで、不眠不休

で事に当たること。重病人の介抱をするひとなどによく

あること。

世界遺産91位「マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園」




マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園

イタリア南部に位置する町マテーラは、グラヴィーナ渓谷の斜面の岩肌を掘って造られたサッシ(サッシとは岩を意味するイタリア語サッソの複数形)と呼ばれる洞窟住居群が約3000から4000あり、何層にも重なって渓谷を埋め尽くす壮観な景色が広がります。このマテーラの歴史は古く、この地に人類が住み着いたのは約7000年前と言われています。

8世紀から13世紀にかけ、イスラム勢力の迫害を逃れたキリスト教徒の修道士たちは、洞窟内に130余りの教会や住居を造り、この地に移り住むようになります。15世紀には地中海交易により繁栄し、その後1663年には、当時所属していたプッリャ州オートランドからバジリカータ州に吸収されると同時に州都となり、最盛期を迎えます。しかし、1806年に州都がポテンツァに移動し、行政機能が失われると、町は徐々に衰退していきました。また人口の増加による住居の不足もあって、多くの貧しい人々は家畜とともに暮らすのを余儀なくされ、衛生面の悪化による死亡者が多発するほど深刻なものでした。この状況を見かねた政府は、1954年に法整備となる特別法を出し、都市調整計画に基づいて建設された新市街地へ住民を強制的に移住させました。結果、サッシ地区は無人の廃墟と化し、政府が保有する地区となったのです。

こうした歴史背景を持つサッシ地区は、中心にあたる「チビタ」、そこから南北に分かれて「サッソ・カヴェオーソ」、「サッソ・バリサーノ」の3つに分かれます。チビタ地区にはロマネスク様式の大聖堂、ドゥオモがあり、その広場から眺めるサッソ・バリサーノ地区の眺めは圧巻です。またサッソ・カヴェオーソ地区にはマドンナ・デ・イドリス教会をはじめ一見の価値ある洞窟教会が建ち並びます。

近年はサッシの文化的・芸術的な価値が見直され、1993年の文化遺産への登録を契機に官民共同でサッシの保存・再開発が進んでいます。往時の姿と活気を取り戻しつつあるマテーラを訪れ、キリスト教徒が創り上げたサッシの奇観、地形に調和した居住環境、そして荒廃に耐えて今に残る優れた宗教芸術にふれてみませんか。サッシを利用・改装した宿泊施設もありますので、一夜を過ごし、ほかにない美しさを魅せる、夜の景観を楽しんでみてはいかがでしょうか。

故事名言=葦巣(いそう)の悔い

水辺の草の中に巣を作る鳥は、場所が悪いためにいつも

危険にさらされていて落ち着いた生活が出来ない。それ

を悔いることをいうことで、住居が不安定なための心配

をいう。今日、都会に住む多くの人々が抱いている心境

。荀子に「南方にみそさざえという名の鳥がいるが、羽

を集め、毛髪で編んで巣をつくり、それを葦の穂先につ

なぐ習性がある。風が吹いて穂先が折れると卵が壊れた

りヒナが死んだりするするのでいつも不安にさらされて

いるが、これは巣の作り方が不完全だからではなくて、

巣をつないだところが悪いためである」と言っている。

ゆえに君子は環境の良い所を選んで住む。


世界遺産90位「福建の土楼」




福建の土楼


Story
中国福建省南部にある海辺のリゾート厦門(アモイ)からいくつもの山を越え、車に揺られること約4時間。のどかな田園風景の中に、円形、楕円形、方形とさまざまな形をした巨大な要塞のような建物群が見えてきます。これが、北方からの移民、客家(ハッカ)が一族で居住する「土楼」といわれる集合住宅です。土楼は単に雨露をしのぎ外敵を防御するだけでなく、共同体の結束を強める役割も担ってきました。

閉鎖的な外観とは裏腹に、中は意外にも開放感にあふれ、集合住宅というよりむしろ一つの村のよう。広い中庭には、井戸や祖先を祭る祖堂があり、家畜が放し飼いにされ、ぐるりと囲むように瓦屋根の木造家屋が2重3重と建っています。1階は台所、2階は食料貯蔵庫、3・4階が居住空間という構造が一般的で、部屋の配置や数は建設場所と同じく風水に基づいて決められたもの。観光地化されてはいますが、そこは実際に人々が暮らす現役の住まい。生活のぬくもりこそが、遺跡や博物館にはない土楼の魅力といってもいいでしょう。

土や石、わらなどの自然素材のみを使い、太陽エネルギーで固める版築工法で造られた土楼は、“地球にやさしい建物”であるとして世界も注目。耐震・耐火性に優れて堅牢なのは、築230年が経つ土楼の王様、二宜楼を見れば明らか。夏は涼しく、冬は暖かいので、住み心地はなかなか快適なのだとか。永定地区には宿泊が可能な土楼も多いので、束の間の客家生活を体験してみるのも面白いかもしれません。

故事名言=以心傳心

伝灯広録にある言葉で、心から心に伝わること。禅家で

は言語や文章で表現できない法を師から弟子に以心伝心

によって伝えるが、我々も気の合った同士では、言わな

くても心が通ずる。

世界遺産89位「セゴビア旧市街とローマ水道橋」



セゴビア旧市街とローマ水道橋

セゴビアはマドリッドの北西約90kmのグアダラマ山脈の麓、エレスマ川とクラモレス川に挟まれた標高約1,000mの丘陵に築かれた町。その歴史はローマ時代の城塞に遡り、イスラムの支配の後、11世紀以降はカスティーリャ王国の中心都市となり、毛織物産業が繁栄。古代ローマから中世に至る建造物が、栄光の歴史を物語ります。

町の突端に建つアルカサルは、レコンキスタ(国土回復)時代に建造された歴代カスティーリャ王の居城。ディズニー映画『白雪姫』のモデルにもなったこの城で、1474年にイサベル1世は即位。レコンキスタを完成させ、スペインを黄金時代へと導きます。町の中心に建つカテドラルは、セゴビアが最盛期を迎えた16世紀から18世紀にかけて造営。スカートを広げたような気品ある姿から「カテドラルの貴婦人」とも称されるスペイン最後のゴシック建築です。

「一番の見どころは、旧市街の外れに聳える全長約728m、最高所が約29mに達する巨大な水道橋。丘の上の町まで水を供給するために、ローマ時代の1世紀ごろに建設されたものです。接合剤を一切使わず花崗岩を積み上げただけにもかかわらず、2000年もの時の流れと風雪に耐え、当時の姿を今にとどめています。しかも1884年まで実際に使用されていたというから驚き。ローマ人の高度な技術に脱帽です。

故事名言=衣食足りて礼節を知る

管子の「倉廩(そうりん)みちて則ち礼節を知り、衣食

足りて則ち栄辱を知る」からきた言葉で、生活にゆとり

が出来れば、自然に道徳心が高まって礼節を知るように

なるということ。腹がすいて倒れそうになっている者に

礼節を守れと言っても、それは無理、まず腹を満たして

やることが大切だ。史記にも「礼を有に生じ無に廃る」

と言っている。

世界遺産88位「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」



富士山-信仰の対象と芸術の源泉

田子の浦ゆうち出でてみれば真白にそ富士の高嶺に雪は降りける」と、古くは万葉集に詠まれ、浮世絵など多くの絵画に描かれてきた「日本の象徴」富士山。静岡県と山梨県に跨がる標高3,776mの日本最高峰にして活火山であり、幾度も噴火を繰り返す富士山を古の人々は神山と崇め、信仰の対象としてきました。環境問題などから自然遺産への登録はかないませんでしたが、現在に受け継がれる信仰や芸術を生み出した文化的価値が評価され、富士山域(標高約1,500m以上)をはじめ、25の構成資産が2013年、世界文化遺産に登録されました。

構成資産の中でも特に重要なのは富士山域です。ここに含まれる八合目から山頂には、富士山の神「浅間大神」が鎮座するとされ、噴火が鎮まることを願い806年に建立された富士山本宮浅間大社の境内になっています。やがて噴火が沈静化した12世紀頃から、富士山は古来の山岳信仰と仏教などが習合した修験道の修行の場となり、時代が下ると庶民の間でも信仰登山が盛んになっていきました。逆さ富士で知られ、千円札などの図柄にも使われた富士五湖の1つ本栖湖、和歌や絵画の題材となり、謡曲『羽衣』の舞台にもなった三保の松原など、芸術と関わりが深い絵画的な景観も構成資産となっています。

あまりにも身近すぎる存在の富士山ですが、文化遺産への登録は日本人の信仰や美意識を改めて見直す良い機会になるのではないでしょうか。富士山を訪ね、先人たちがつくり上げてきた日本文化の源泉にふれてみましょう。


故事名言=渭樹江雲(いじゅこううん)

杜甫の「春日の李白を憶(おむ)うの詩」の「渭北春天

樹、江東日暮雲」から出た言葉で、遠く離れている友を

しのぶときにいう言葉。杜甫は渭水のほとりに住み、李

白は江東にいたので、渭北の樹と江東の雲とを対照させ

て詠ったもの。

世界遺産87位「ポルト歴史地区」




ポルト歴史地区

ドウロ川の河口に位置し、ポートワインの積出港として知られるポルトは、リスボンに次ぐポルトガル第二の都市で商工業の中心地。ローマ時代にはポルトゥス・カレ(カレの港)と呼ばれ貿易で栄え、ポルトガルの国名の由来にもなりました。15世紀にはポルトに生まれたエンリケ航海王子の海外進出の拠点となり、さらなる発展を遂げます。

旧市街の中心にあるサン・ベント駅構内には、2万枚ものアズレージョ(青い装飾タイル)でポルトガルの歴史が描かれていますが、ひときわ目立つのはエンリケ航海王子の遠征の場面。これが1415年、大航海時代の幕開けとして語り継がれるアフリカ北岸のセウタ攻略です。この戦いで武勲をたて騎士に叙任されたエンリケは、航海者たちを指導・援助し、アフリカ西岸航路の開拓に力を注いでいきます。

アズレージョがゴシック様式の回廊を飾る、要塞然としたカテドラルは各時代の様式で増改築が重ねられ、かつて証券取引所だったボルサ宮は、アルハンブラ宮殿にならって作られた、壁から天井までアラベスクのタイルが覆い尽くす「アラブの間」が圧巻。そして、金泥を塗った内陣の彫刻群がまばゆい輝きを放つサン・フランシスコ教会。これらの世界遺産に登録された歴史地区の建築群は、エンリケが道を開き、大航海の成功がもたらした莫大な富のあかし。生涯妻をめとらず、ポルトガルの発展に尽力したエンリケ。今もボルサ宮前のエンリケ航海王子広場で、アフリカを指さしたたずんでいます。

故事名言ん=石に枕し流れに漱(くちそそ)ぐ

この煩わしい俗世を離れて山の中に隠れ住み、石を枕に

して寝、谷川の水で口をすすぐような静かな生活をいう

。これを孫楚(そんそ)が間違えて「石に漱ぎ流れに枕

す」と言った故事は有名で、流石、漱石の言葉などの言

葉や号はそれに由来するという。

世界遺産86位「タスマニア原生地域」



タスマニア原生地域

オーストラリア大陸の南端に浮かぶタスマニア島は、北海道よりやや小さな島。1億6000万年前頃、ゴンドワナ大陸からオーストラリア大陸が分裂。その後、氷河が解けオーストラリア大陸から分離したタスマニア島には、独自の進化を遂げた固有の生物が多く生息します。また、約3万年前の氷河期の人類の存在を証明する石器や岩壁画なども発見され、「タスマニア原生地域」として複合遺産に登録されました。

島の総面積の約20%を占める138万haの原生地域には、氷河が浸食した独特の景観で知られるクレイドルマウンテン/セントクレア湖国立公園など5つの国立公園が含まれます。サウスウエスト国立公園にあるバサースト湾は、川から流れ込むタンニンにより赤く染まり、水深が浅いにも関わらず光が遮られた海底には、深海生物や新種の生物が生息。そして森林地帯には、樹齢2000年を超える常緑樹の巨木や、ナンキョクブナなど太古の地殻変動を物語る植物が成育しています。また、早い時期に大陸が分離したことが幸いし、島の固有種にして世界最大の肉食有袋類のタスマニアンデビル、卵で産み母乳で育てる単孔類のカモノハシなど、原始の動物が淘汰されずに進化し生き続けています。

太古からの植物や固有の動物をはぐくむタスマニアは、豊かな雨林に囲まれている事から世界で最も空気がピュアとされ、雨水や湖水をそのまま飲めるともいわれます。この世界でも稀な地域を、未開のまま後世に残したいものです。

故事名言=石玉を韞(つつ)みて山輝く

石に中に玉があって、そのために山が光り輝くというこ

とで、学徳のある人は、衆愚の中に混ざっていても輝き

が自然のうちに外に現れるものだということ。陸機の文

章に「石玉を韞みて山輝き、水珠を懐いて川媚(み、え

)よし」とある。